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自社株買いによる株価上昇の理論と現実

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自社株買いとは?

過去、発行した株式を自らの資金を使って、株式市場から買い戻すことを指します。

目的としては、大きく2つあります。

  1. 資本効率向上: 上場企業には、自己資本利益率(ROE)を改善することが求められます。 ROE=純利益÷自己資本より、自己資本を減らす=株式を消却することで、改善することができます。
  2. 株主還元 株主にとって、利益をあげてもらうことが重要で、保有株に対する分前を増やすことを求めています。 つまり、1株あたりの純利益EPS=純利益÷発行済株式数の増加を経営者に求めますが、自社株買いにより株数が減ることで、EPSは向上します。

日経新聞の2024年12月20日のニュースでは、「自社株買い最高の17兆円 24年、還元活発・持ち合い解消」と日本の株式市場では自社株買いがかなり増加しています。

なぜ株価は上がるのか?

自社株買いの発表とともに株価が急騰することがある。これは、次の3つの理由が挙げられる。

  1. 株数の減少→EPS・ROEの改善
    自社株買いにより、市場から浮動株が減り、償却されることで、1株あたりで計算する指標が改善する。 具体的には、EPS=1株あたり純利益÷発行済株式数、ROE=純利益÷自己資本が改善する。 その結果、これらを使って計算される株価指標であるPER、PBRが減少=割安となることで、買いが集まると考えられる。

  2. 市場に与えるシグナル効果(将来への期待) 自社株買いは、企業が余剰資金(繰越利益剰余金、いわゆる内部留保)を使って自らの株式を取得する行為であり、次のようなポジティブなシグナルと受け止められることがある。

    • 本業の営業キャッシュフローがプラスであり、資金繰りに余裕がある可能性を示唆する
    • 経営者自身が現在の株価を「割安」と考えているサインと受け取られ、将来の業績改善や株価上昇を期待させる

※もっとも、持ち合い株式を売却したキャッシュを原資にしている場合など、本業の好調さを直接反映しないケースもあるため、背景の見極めが重要となる。

  1. 株主構成の変化による需給圧力 一般的に株式市場(流通市場)から株式を買う。そのため、浮動株と呼ばれる市場に出回る株が減ることになる。 市場に出回る株が減ると、供給が絞られるため、投資信託等の一定の需要がある株であれば、価格はあがることになる。 ※大型株の場合、踏み上げのような急騰は考えづらいが、機関投資家の買いに支えられ、株価が下がりにくくなると考えられる

財務諸表(B/S)に与える影響

自社株買いを単純な貸借対照表(B/S)を用いて考える。

PBR 1.0倍企業

今、決算で次のようなB/Sの企業を考える。発行済株数は8で、安定株主は存在しないとする。 また、株主資本=純資産と考えるものとする。株価は10円とする。

①自社株買い前

資産負債・純資産
現金:100長期借入金:20
資本金: 50
利益剰余金: 30
自己株式: 0

各指標は次の通り

ここで、20円分(=2株)の自社株買いを発表し、実行する ※ここでは自社株買いを10円で実行し、かつ市場株価も10円のまま維持されることを前提とする。このため、PBRやBPSも変化しない。

②自社株実行

次のような仕訳がされている。

借方貸方
自己株式:20現金:20

これをBSに反映させると次の通り。

資産負債・純資産
現金:80長期借入金:20
資本金: 50
利益剰余金: 30
自己株式: ▲20

各指標は次の通り

③自己株式の償却

自己株式がなくなり、利益剰余金を減らす。 ※今回は利益剰余金を使っていますが、資本金や資本剰余金を使ってもよい。

資産負債・純資産
現金:80長期借入金:20
資本金: 50
利益剰余金: 10

各指標は変わらない。

つまり、PBRが1倍であり、その金額で買うのであれば、PBRは変わらない

もし、PBRが1.0倍を割っているとすると、次のモデルで考えられる

PBR 1.0倍割れ企業

今、決算で次のようなB/Sの企業を考える。発行済株数は 8 で、安定株主は存在しないとする。 また、株主資本=純資産と考えるものとする。株価は5円とする。

①自社株買い前

資産負債・純資産
現金:100長期借入金:20
資本金: 50
利益剰余金: 30
自己株式: 0

各指標は次の通り

ここで、 1株10円で2株 の自社株買いを発表し、実行する ※10円はPBR1.0倍水準。

②自社株実行

株数は8→6に変化

資産負債・純資産
現金:80長期借入金:20
資本金: 50
利益剰余金: 30
自己株式: ▲20

各指標は次の通り

つまり、 自社株買いにより引き上げられた水準にPBRが変化する これは、1株あたり資産価値(BPS)を上回る価格(10円)で自社株買いを行ったため、資産総額は減少しつつも、発行済株式数の減少によりBPSが保たれ、結果としてPBRが引き上げられたためである。

こうなると、疑問に浮かぶのは、企業価値が変化しないのはどのような前提であるかである。

MM定理と企業価値

自社株買いによる株価変動を考えるうえで、重要な前提となるのが**MM定理(モディリアーニ=ミラー定理)**である。

MM定理とは、資本構成(借入金と自己資本の割合)を変えても、企業の本質的な価値は変わらないとする理論である。
つまり、現金を使って自社株買いをしても、企業価値(資産-負債の純資産部分)は変わらないと考える。

具体的には次のように整理できる。

このため、
発行済株式数が減少する一方で企業価値は変わらないため、1株あたりの理論的価値は上昇する
これが自社株買いにより理論株価が上がるメカニズムである。

なお、実際の市場では、税制、情報の非対称性、需給要因などの影響により、MM定理が完全には成立しないこともある。
そのため、現実の株価は単純な理論通りに動かない場合もある点に留意が必要である。

発行株数の減少と理論株価の変化

以上の議論から、 自社株買いにより企業のB/Sは縮小するが、算出される指標は変化しない=企業価値も変わらない ことがわかった。

P/LやC/Fにも変化がない前提にたつと、減った株数分、株主1人あたりの取り分が増加することになる。

これは、EPSやROEの改善を通じて、株主に有利に働く。

先程の例に出した企業の場合は、8株→6株になっている。

そのため、株価が10円、1年の当期純利益が10円であれば、

自社株買い前自社株買い後
EPS10÷8=1.2510÷6=1.66…
PER=株価÷EPS10÷1.25=8倍10÷1.66…=6倍

この表から、PERが減少する=割安に見えることがわかる。

PERを比較して、元の水準まで戻る買いが入ると考えると、株価は 13.33円(+33%) まで引き上がると考えられる。

つまり、PERで考えると 減った割合分、株価の上昇余地がある と考えることができるのである。

これを簡易モデルを使って表現する。

簡易モデル

自社株買いにより、株数 n → n’ に変化する。

当期純利益 P は一定。株価が S → S’ に変化するとする。

EPSは P/n より、自社株買いにより P/n’ に変化する。

PER は S/EPS より、S/(P/n) から S’/(P/n’) に変化する。

PERの水準が一定になるように株価が S → S’ に変化するのであれば、

S/(P/n) = S’/(P/n’)

この式を変形し、株価上昇余地 S’/S を導出すると

S’/S = n / n’

つまり、 発行済み株式数の減少率と株価上昇率は一致するように動くはず である。

モデルとニュースを対比させる

例えばには、信越化、上限2億株の自社株買い実施へ=5000億円、発行済み株式の10.2%の場合、発行済み株式数の割合が書いてあるので、先のモデルを使うと、

S’/S = 100 / 89.8 = 1.113 より、11%近くの上昇余地があり、発表直前(2025/04/25)の終値4,046を考えると、4,503円(+457円)までの上昇があり得ると考えることができる。

しかし、発行済株数は19.8億株あるが、1株あたり5000億円÷2億株=2500円で買付けることになるが、これは年初来安値を割り込み、終値比較で-38%である。

仮に、発表の終値近く4000円で買い付けられたとしても、1.25億株つまり、発行済株式の6.3%より、

S’/S = 100 / 93.7 = 1.067 より、6%近くの上昇余地となり、4,317円となる。

自社株買いの発表では、総額や買付株数などの金額的なインパクトに注目が集まりがちである。 しかし、本質的には 発行済株式数の変化=株数減少が、理論的な株価上昇余地を決定する要因 であることを忘れてはならない。

同日(2025/04/25)に、野村HDも自社株を発表した。

600億円で、1億株(割合3.2%)であるが、これも600円で買付したときである。2025/04/25の終値815.4円から考えると、-26%となる。

下落局面での買い支え効果があるかもしれないが、割合を真に受けることはできないことに注意が必要である。

※実務的には、市場から買い付けるだけでなく、ToSTNet取引によるバスケット取引などで、市場価格より安い取引を証券会社が主導している可能性もある。

なお、今回の信越化学の自社株買いでは、買付価格水準が発表時点株価から▲38%と極端に低く設定されている点に留意が必要である。

自社株買いは通常、株主還元の意図や自社株への自信を示すシグナルとされるが、あまりにも低い価格水準が示される場合、市場からは「弱気のメッセージ」と受け取られ、必ずしもポジティブな株価反応に結びつかないリスクがある。

金額のインパクトによるシグナリング効果でしかないとも受け取ることができるのである。

需給の歪みと現実の株価変動

今までの議論では、財務指標や株価指標をもとに自社株買いの株価変化を導出した。

また、前章でシグナリング効果に踏み込んだ。

さらに、浮動株が減ることで、流通市場における株価影響も考えられる。

例えば、先の信越化学工業4063では、信託銀行、生保、銀行といった金融機関(機関投資家)が保有している。

流通株式比率が89.42%(四季報)となっている。いわゆる、創業家のような10%以上保有する大株主がおらず、機関投資家が保有しているからである。

一方で、浮動株は3.0%(四季報)となっている。これは、上位10位までを主要株主として、除外されているからである。

機関投資家の性質によるが、長期投資であればなかなか市場に出てこない。

そのため、自社株買いで買い付ける株式が少ないため、需給がタイトになり、踏み上げのような上昇も考えられる。

逆に、長期投資機関投資家からの借株も行いやすいので、当然空売りが入りやすく、大きな上昇になりえないシナリオも想定される。

自社株買いのIRでは買付期間が明記されている。それと、主要株主の状況やファンドの組入の観点から、需給分析を行うことができるかもしれない。

今後の課題とする。

参考:流通株式と浮動株はどう違うのか

まとめと応用

自社株買いにおける、貸借対照表への影響を考えた。自社株買いにより企業のB/Sは縮小するが、算出される指標は変化しない=企業価値も変わらない ことを示すとともに、株価影響は 発行済株式数の変化=株数減少が、理論的な株価上昇余地を決定する要因 であることを、モデル化した。

IRのシグナリング効果についても考察を行い、株数減少が株価の上昇余地であるが、IRの発行済み株式数の割合は直近の株価水準よりも低い可能性があり、出た数字を鵜呑みにできないことがわかった。

さらに、株式相場では需給要因にも注意が必要である。株数が減少することは、直接的に需給バランスに影響を与えるからだ。

株主の状況、浮動株の存在によって踏み上げのような事象がおこる銘柄も出てくるかもしれない。

本稿では、理論モデルに基づき自社株買いの影響を整理してきたが、現実の市場では需給やセンチメントの影響も無視できない。

特に、主要株主構成や浮動株比率は、株価変動に大きなインパクトを与える可能性がある。

自社株買いにおける需給分析については、今後の課題としたい。